2013年12月31日火曜日

風曜日奮闘記その(13)夢は摩周湖のほとりから

独立へのギアチェンジ(5)~49歳
トップ゚ギアに入りました。「職務規定違反と新聞掲載」

 勤めていながら別の仕事をすることは、職務違反になるのだそうです。確かに丸の内界隈で営業をしながら、資金調達を行っていたのだから追求されても致し方ありません。

どうして会社の知るところとなったのか?ですって!
それは、1998年1121日(土)釧路新聞に「車いすのまま宿泊可 弟子屈にピュア・フィールド風曜日 三木夫妻が来春オープン」という記事が掲載されたからです。


23日(月)、普段通り出社するとなにか周りの雰囲気がおかしい。
皆がジロジロと私を見ているようだし、中にはニコニコ顔で遠くから手を振っている仲間もいるではないですか。
机に向かいパソコンのスイッチをいれたその時、待ち構えていたように電話が鳴りました。

「アー 三木さん。こちら人事部だけど、ちょっと来てくれませんか。部長室まで・・」と人事担当者の声。
何ごとかと思って部長室に入ると、新聞のコピーを手にした課長が座っているではないですか。そして、心配そうに「退職金が出ないかもしれない」と告げられたのです。
理由は職務規定違反。
当然、退職金も建設資金に使う予定です。
 それがないとなると一大事。せっかく妻と一緒に積み上げて来た計画が根底から狂うことになります。
 以前、会社の新規事業部に風曜日構想を提案し、採用されなかった事や、計画の進捗状況などを説明するうちに、とりあえず人事部長まで顛末書を提出することになりました。

翌日、徹夜で書いた顛末書を提出すると、すぐに部長から連絡が入りました。
不安な気持ちイッパイで面会に臨むと、「今回のことはこの顛末書提出だけで済むように処理します。新しい事業、是非頑張って下さい」と励ましの言葉を投げかけられたのです。
勿論、退職金は無事支給され、それどころか小さなホテルに不相応な性能をもつコピー機とファクスを長期間無償貸与してもらえる事にもなり、更に社内報にも風曜日構想が紹介されることになったのです。

27年9か月の間お世話になった会社であり、自分の中ではやりがいや生きがいを感じていた会社です。辞める理由などありません。
「なんで会社を辞めるのか。何か悪いことでもしたのか」、先輩や仲間からよく言われました。

でも、見てしまった。聞いてしまった。感じてしまった。おまけに新聞にも出てしまった。もう仕方ない。
「一期(この世)は夢よ、ただ狂え!」

 誰がいった言葉か知りませんが、もうグチャグチャ考えずに、清水の舞台から飛び降りたのです。

 2013年も今日で終わりです。連載にお付き合いいただき誠にありがとうござました。
 それでは皆様 良いお年をお迎えください。
 来年もがんばりま~す。

2013年12月26日木曜日

スロープの取り付け交渉 (2)

交渉は思いのほか簡単に終わりました。
支店長さんに面会を申し入れ、訪問の目的を話と
「大変すばらしい提案。私も前々から気になっていました」
「さっそく本社に連絡し、前向きに対処します」との回答を得たのです。

気になっていたらなんでもっと早く・・、などのヤボな突っ込みはこの際止めにして、急な訪問にも関わらず真剣に話を聞いてくれた事にお礼をいい、店舗をあとにしたのです。

UDのまちづくりに反対する人は居ません。
皆、関心を持っているのですが、なにから取り組んでいいのか判らないだけなのです。

「スロープの取り付けはいつやるのですか?
                     ・・・・・・それは今でしょう!!」

取り付けが完了したら、またお知らせします。


2013年12月25日水曜日

スロープの取り付け交渉(1)

 町内には金融機関の出先が3店舗あります。
 今回交渉しようとする店舗にはバリアフリー対応の最新ATMが設置され、毎日多くの住民が利用しています。
 でも、その店舗の玄関入り口には高さ10センチほどの段差があるのです。



 歩行困難者や車椅子利用者にはとても使いづらい環境です。
 せっかくの最新ATMも生かされていないように思えます。
 いつもは住民サービスを最優先する事業所ですので、何か特別な理由でもあるのでしょうか?

「ヨーシ!スロープを設置するよう交渉して見るか。UDのまちづくりにもなることだし・・」



2013年12月16日月曜日

風曜日奮闘記その(12) 夢は摩周湖のほとりから

独立へのギアチェンジ(4)~49歳
やる気99% ふんぎりが・・。 「妻のひと言・資金協力」
          
福祉の世界など全く知らない私です。なにしろ授産施設を「何らかの事情でお産が出来ない女性が通う施設」と思っていたほどですから。
そんな程度の知識しかない私が、UDのホテルなんて運営できるはずがありません。  
妻の協力が必要なのは、火を見るより明らかです。
ところが妻は、私が会社を辞め、事業を興すのは勝手で、ご自由にどうぞ。気候がいいときに遊びに行くから、というぐらいにしか考えていない節があったのです。
「いってらしゃい」といった感じです。
私を福祉の世界に引っ張り込んだくせに・・。

そんな思いを抱いていたある日、思い切って尋ねました。
「本当に私と一緒にやる気はあるのか」と。
すると彼女はきょとんとした顔をして、「なにいってるのよ。資金がまだ足りないから、なんとかして・・」
と言い放ったのです。否、言い放ってくれたのです。
その一言で頭の中のもやもやは一挙に消滅。
代わりに妻の思いに答えるため、ふたたび資金調達作戦を展開することにしたのです。

私の退職金や貯金を入れても、当面の運営資金を考えるとまだ資金が足りません。
そこで、風曜日構想への賛同者に対し事業説明会を開催し、資金援助をお願いすることにしたのです。

ある平日の夜、東京青山の小さな貸会議室。
明るい照明の下、7~8名の女性を前にして説明会を開きました。
集まった女性達は、IBMや日航、伊勢丹、ゼロックスなど、大手企業に勤めるキャリアウーマンたちです。社会貢献や新規事業など企業の社会的価値を創造するセクションのメンバーがほとんどでしたが、ひとり役所に勤める女性がじっと話を聞いてくれていました。
なんと、その女性は難事件に巻きこまれても見事にそれを乗り越え、2013年厚生労働事務次官に就任された村木厚子さんだったのです。
その時の出会いが、20年近く経た2012年6月3日、弟子屈町に彼女を招き「支える、支えられる」と題する講演会を開催することに繋がるとは、夢にも思わぬことでありました。

一通りの説明が終わると、次々に意見が寄せられ、
「夢があってとても楽しい」
「ボランティアの人にも聞かせたい話だわ」
「同じことを考えている人を知っているから、是非相談するといい」
「このホテルは、いろいろに発展して可能性がある」
「私たちも年取ったらよろしく」
など、否定的な意見は一切出ませんでした。
反面、次に開催した事業説明会には、男性ばかりです。
意見としては、
「あっ! この手の事業は補助金がなければだめだ。リスクが多すぎる」とか、
「市場調査はやったの? そんなこともやらずに、こりゃ無理だ」とか、「競合他社の動向は?」とか、ネガティブな発言ばかりが噴出したのです。
この違いは何なのでしょうか?

出席した女性から、資金提供の申し出をいただいたことはいうまでもありません。

 こんなに支援を受けてもまだグジュグジュ考えているのかよ。                          お前は。ッタク!!


2013年11月18日月曜日

風曜日奮闘記 その(11) 夢は摩周湖のほとりから。


独立へのギアチェンジ(3)~49歳
 まだやる気98%、  ふんぎりつかない。

 普段のサラリーマン生活に戻っても、町で「たま障」を見かける
と思い出します。車いすの彼女は今どうしているのだろうか。
 同じ質問を何度も投げかけてきた彼は元気にしているか。なんども同じ質問をされた時、不快そうな顔をした私が悪かった・・・そんな旅の余韻が残っているある日の夕食、妻があきれたよ にいうのです。

「障がいをもつ子どもたちが修学旅行で東京に来た時、訪れるのはディズニーランドですって。中学の時も高校の時も・・。東京でさえ自由に遊べるところがないんですって。どう思う?」

「どう思う」、と私に問われても答えようがありません。
でも、 その言葉を聞いた途端、遠くに光のようなものを感じたのです。
以来、聞き流していた妻からの福祉の話を真剣に聞くようになり、いつしか大自然の中でホテルをやってみたい、という想いを持つようになっていったのです。

都会の喧騒から離れ、北海道の大自然の中、ゆったりとした時間を過ごしてもらいたい。もちろん、UD仕様の建物だ。これから迎える高齢社会にもきっと役に立つことだろう。
そうだ、ホテルに着いたら時計を外してもらおう。館内にテレビ
なんか置くのを止めよう。

妻との間で、そんな話題で盛り上がっていたある日のこと。2階から次男が降りてきて、いつもは無口な彼がカレンダーをパラパラとめくりながら「ホテルの名前は風曜日(かぜようび)がいい」といったのです。
理由を尋ねると、毎日の曜日には月・火・水など、自然界に存在するものが名付けられている。無いものが一つある。それは「風」だ、というのです。

「お父さんたちは、日常と違った時間を過ごしてもらいたのでしょう!」
「だったら8番目の曜日で風曜日がいい」

これで決まった。ホテルの名称はピュア・フィールド風曜日(かぜようび)。ピュア・フィールドは長男が付けてくれた。

あ~っ、どうしょう、どうしょう。
<バブルがはじけても、リストラが始まっても、サラリーマンの方が楽ヨ。
チョット格好悪いが、今からでも止めいいのヨ>


そんな迷いが、グルグル頭の中を駆け巡るのです。 ホント。

2013年11月14日木曜日

今こそ摩周湖へ

皆さん、私たちが住む釧路地方が日本でトップクラスの「日照時間」が長い地域であること、ご存知でしたか?
特に冬期はず~っと晴天が続くのです。
札幌で雪が降っても、こちらは快晴。その代わり気温がぐっと下がるのが特徴です。

満点の星空を見に来ませんか?
当館の庭先で見るのも良し、摩周湖に行くのも良し。
星空を見ていると、何か忘れていたものを思い出したような気分になるのは私だけでしょうか。

妻がレーザー光線で星空観察会を開きます。 
いつでも開いている訳ではありません。
事前に問い合わせいただければ、有難いです。





2013年11月8日金曜日

冬・冬・冬こそ・・・。

ここは「池の湯」という「露天ふろ」です。屈斜路湖畔にあります。
読んで字のごとく、池のように大きな露天風呂。誰でも、いつでも入ることができます。
しかも無料。「UDの露天ふろ」といってもいいかも知れません。

地元では「野天ふろ」、という人もいますが、その名にふさわしくとのかく野生味満点。

湯だまりの向こうに見えるのが屈斜路湖。その向こうが藻事山連山。すでに冠雪があり、本格的な冬はもうすぐ。

満点の星空の下、この露天ふろに入ると、この世とは思えない気分になります。

皆さん、一度この露天ふろに入りにこられませんか?
寒い冬に・・・・。


風曜日奮闘記 その(10) 夢は摩周湖のほとりから。

独立へのギアチェンジ(2)~45歳ぐらいまで。
やる気まだ80%ぐらいかな。

南半球の空気を吸い、広大な草原に戯れる羊の群れを見ながらの旅は実に楽しく、素晴らしい経験です。
折に触れ唄われる歌は、その施設のテーマソング。明るくリズミカルで、誰がリードする訳でなく、その場その時の雰囲気に応じて自然に、抜群のタイミングで唄い出されるのです。
娘さんの「車いす押し」にも次第に慣れ、他の車椅子「たま障」との会話も弾み、妻の介護のことなどすっかり忘れ、何か違った世界に居るかのように時間は過ぎていったのです。
旅の途中、施設の職員と思われる20代の男性と仲良くなりました。しかし会話を重ねる内、何度も同じ質問を投げ掛けてくるのです。何度も、何度も・・。
あまりに繰りかえすものですから怪訝そうな態度を取ると、彼は急に黙ってしまい、私に前から去っていってしまったのです。
彼は施設の職員ではなかったのです。軽度の知的「たま障」だったのです。同じことを繰りかえすにはその病の特徴であることが判り、「悪いことをした。ゴメン!」と、今でも思っています。
帰りの飛行機の中、夕日に映える富士山が見え出したころ、誰かが例の歌を唄い出しました。
無事に帰ってこられた安堵感からか、困難を乗り超えた旅の達成感からか、最初は小さな歌声でしたが、やがて大合唱となり機内を満たしたのであります。

それにしてもNZのイルカは私を無視して、「たま障」の子供達のところばかりに集まるのはどうしてだ?


2013年11月5日火曜日

神社の「かえで」

11月になると紅葉は終わり、ほとんどの木は葉を落として冬に備えます。

ところが、神社の鳥居の脇に生えてるかえでの木は、「紅葉今が盛り」とばかりにその姿を見せ、お客様に感動を与えています。

今年の紅葉はいつもとはどこか違います。

気候変動でしょうか、神様の意向でしょうか・・・?
どちらにしても、綺麗な紅葉です。

2013年10月20日日曜日

熊だ!熊だ!ヒグマを見たぞ!!

いつかはいつかは、と期待しつつ15年。

2013年10月17日午後4:00ごろにその時を迎えました。
黒々とした四本足の動物が車道から森の中に分け入ろうとする瞬間を見たのです。約20メートル先でです。
場所は屈斜路湖畔仁伏の里をちょっと過ぎたあたり。

犬かな、キツネかなと思いましたが、歩く姿はそれらとまるで違います。
頭を低くして顔を正面に向け、太い足でゆっくりと歩く姿は熊そのもの。

地元では熊の話が良く話題となります。軽の貨物自動車を発進させようとしても動かない。ふと振り返れば熊が荷台を押さえていたとか、山道を歩いて子鹿が転がり落ちてきた。山頂を見上げると熊が顔を出してこっちを見ていた、とか。

話は面白可笑しく語られているとは思いますが“一度は見てみてみたい、但し危険のないの範囲で・・”と、願うのは私だけではないと思います。
そして、この大自然の中、熊と同じ空気を吸って生きていることに鳥肌が立つぐらい感動するのも私だけではないと思っています。

皆さんいかがでしょうか?


2013年10月16日水曜日

これぞUDのホテルだ。 アーッ英会話!!

ある日のお客様風景。

 タイからお子様2名を含む家族5名、
 イギリスから高齢の女性2名と男性1名、
 インドネシヤとオーストラリアから各1名、(北大の留学生)
 日本からは、
 視覚「たま障」の家族3名、
 車椅子「たま障」を含む仲良しグループ5名、
 それに、60代の男性1名。

 これぞまさしく理想のUDホテル。
 風曜日も国際的になったものだ。
リピーターさんに感謝・感謝

 「言葉は通じたの」、と問われるとチョットつらい!
 駆使するはブロークン英語。理解不能の時はついYESと答えてしまう気持ちの弱さ。


 60代の男性はリピーターさん。
 英国生活の経験あり。
 しどろもどろの会話に見かね、通訳の申し出あり。
 流暢な会話に万事ことなきを得る。
 帰り際「面白い体験ができた」「また何かあったら呼んで・・」といって次の目的地へ出発された。

ウーン、いつまでもお客さんに頼ることはできない。
よし!今年の冬は英会話だ!!
スピードラーニングだ。

アレ! スピードランデイングだったかな??



2013年10月12日土曜日

愛宕社建立10周年 つづき・・

 ホテル風曜日創業15周年記念祭と愛宕社建立10年祭が6月23日に開催されました。
本宮である京都愛宕神社からは宮司をはじめ5名が、地元や札幌、神奈川からもわざわざ来ていただいたお客様を加えると総勢17名の参列があり、儀式は午前10:00から粛々と行われたのです。

 宮司の「祝詞」が読み上げられる中、「笛」や「笙」の音色が聞こえてくると、何か別な世界に引き込まれたような気になるのは私だけではないと思います。

 神様がこの世に存在するかは良く判りません。が、不思議なめぐり合わせで、当館の森の中に「愛宕社」として現存しているのです。
 何故このような「社」が建立されたか、10年経った今でも言葉や文章などで解説することはできません。近頃ではそんなことはどうでもいいことではないか、と思うようになっています。

 創業15年、いろいろな事がありました。心がポッキリと折れそうになったこともあります。今ではこうして多くの人々に見守られ、10年祭を迎えられたことに感謝しております。

 宮司からは「今回の10年祭で私が来るのは最後だ。後は三木さんに任せます」という申し出がありました。
 毎月23日を「愛宕社の日」として定め、私一人でもお祝いをしょうと思っています。

 当館の東側、赤い鳥居が目印です。
心に帰する方は、どうぞお参り下さい。

2013年10月8日火曜日

風曜日奮闘記その(9) 夢は摩周湖のほとりから

独立へのギアチンジ(1) ~45歳ぐらいまで。

まだやる気10%

 ここまで来た。一応資金調達の目安がたった。僕はやるで。
男だ!俺は絶対にやるんだ。やるっきゃない。
でも「このままサラリーマンを続ければ・・」、「また~ッ!いい格好しちやって・・」というような声もどこからか聞こえてくるのです。

・・・・どうして決心したか、ですって?・・・

 サラリーマンを続ける中、もっとやりたいことがあるんじゃないか、そんなことをバクゼンと考えていました。ところがこれといったものが見つからず、ダラダラと時間がすぎるばかり。
 きっかけを掴んだのは、妻の旅行にサポーターとして同行した時のことです。
 ある日、帰宅すると妻から一つのことを提案されました。
「ねえ、私と一緒にニュージーランドに行かない?「イルカと遊ぶの。楽しいと思うわ」
 突然の話に
 「NZへ! イルカと会いに? なぜ?」と思わず聞き返しました。
 妻はある福祉施設から「たま障」の旅のサポートを頼まれたらしいのです。
 「で、僕が行って何か役に立つの?」と聞き返すと、
 「このところ体調が悪く、旅行が心配なのよ。だから私をサポートして!」
       ・・・・・・・・・・・・・・・・
出発の日の夕方、羽田空港内の集合場所に着くとすでに大勢の参加者が集まっていました。参加者の中には、車いす「たま障」や、それをサポートする若い女性も多数いて、やたら華やいでいるのです
 出発式。偉い人の挨拶を人ごとのように聞いていましたが、突然初老のご婦人から声をかけられました。
 「あの・・、お願いがあるんすけど。もし良かったら手伝っていただけませんか?」
 「うちの娘は体重があり、この年で車いすを押すのは辛くなってしまって・・」
 ふと見ると車いすの娘さんが恥ずかしそうに会釈をしている姿が見えます。
 「エッ! 私が車いすを押すの。やったことない!」

妻の介護の積もりで参加した旅が、何か変な方向に向かい出したのであります

2013年7月26日金曜日

目が不自由な方でも安心して旅が楽しめます。

日本点字図書館が発行している「日点デイジーマガジン」(音の雑誌)でピュアフィールド風曜日が紹介されました。昨年、当ホテルをご利用くださったお客様も出演されて様々な感想を聞かせてくださいます。どうぞ音声データをお聴きください。約30分の番組です。
下記サイトの「お知らせ」のリンクからどうぞ。
ピュアフィールド風曜日のサイト

2013年6月22日土曜日

愛宕社建立10周年

明日はいよいよ当館の神社「愛宕社(あたごしゃ)」建立10周年の記念祭を執り行います。
今日はその準備。
社の周りから参道に沿って草を刈り、鳥居をきれいに拭いてからお客様を迎えるのです。
部屋からは明日のための練習でしょうか「笙」と「笛」の音が聞こえてきます。
清掃前の愛宕社
アッというまの10年でした。

どうして「愛宕社」が当館に建立されたか、いつか連載「風曜日奮闘記」で紹介しょうと思っています。

2013年6月15日土曜日

食材調達で春を実感!!

 長い冬が終わり、春になったと思ったら山菜採りのシーズンを迎えます。
 よく山で熊に襲われるニュースが流れるのもこの時期です。

 当館の前を通る「道々52号線」(別名:摩周道路)は私の散歩道。お客様を迎える前の15:00ごろブラリとでかけます。
 摩周湖に向かう一本道ですので車の往来は多いのですが、まったく気になりません。
というのは、この道路の両脇にはワラビが生えており、その収穫に気が向いてしまうからです。
 30分ぐらいの散歩で、片手では持ちきれないほどの量が採れます。
 勿論、夕食の一品としてお客様に食べていただいています。

 この時期だけの食材調達です。春を実感する瞬間です。

摩周岳には熊が居ますが、この辺で熊出没の話しは聞いたことありません。


2013年6月14日金曜日

風曜日奮闘記その(8)「夢は摩周湖のほとりから」


ところで、この奮闘記の中では障害者を「たま障」(たましょう)と表現し、健常者を「いち健」(いちけん)と表現することにします。

障害の「害」の字に何か引っかかるものを感じます。それは私だけではないらしく最近では「障がい」と表記されているようですが「害」が「がい」になってもあまりすっきりしません。
そこで何かいい表現はないかと考えたのが「たま障」と「いち健」という表記です。
車椅子「たま障」と「いち健」

障がいを持ちたいと思っている人は誰も居ません。何かの理由でたまたま障がいを持つようになったから、略して「たま障」。 
 

いずれ人間は年齢を重ねると「たま障」となります。
今は一見健康なだけではないでしょうか。
ですから略して「いち健」といたしました。
 

従って車椅子利用の障がい者のことを車椅子「たま障」、ツエを使っている方はツエ「たま障」と表記します。


この単語は私の造語です。いろいろご意見もあると思いますがご了承下さい。

2013年6月4日火曜日

やっとお花見が・・・・。

6月1日原野摩周自治会(会員数17戸)のお花見会が、自治会館前で開催されました。
いつもより10日も遅いお花見です。
ほとんどは酪農家の皆さんです。今は一番草を育てる忙しい時期ですが、子供から大人まで多くの出席があります。

その時の会話から・・、
「今年は寒くて草の生えぐわいが心配ですね」と尋ねると、
「ナ~ンモ心配ない!! 7月に入りゃ気温が上がる。そしたら1日に3㌢も伸びる。いつもの事ダ!」と答えてくれました。
毎年異常気象だと騒いでいる私たちと違って、開拓50年の経歴を持つ農家さんの言葉はどこかちがいます。

さて、今年も農家さんに生牛乳をもらいにいきます。甘くてサラットしていて、しかもコクがある絞りたてミルク。
でも、このミルクはお客さんに飲んでいただくことはできません。ホントデス!
保健所から厳しい「お達し」があるのです。ウソデハアリマセンヨ!
身内で飲むのはいいんだそうです。ミウチデアレバ・・・。

2013年6月2日日曜日

風曜日奮闘記その(7)「夢は摩周湖のほとりから」

資金調達作戦(6) ~1998年


NHK大河ドラマ「天・地・人」。
サラリーマン人生と重なって毎回欠かさず見ていました。
それによると作戦が成功する三要素、それは「天の時」「地の利」「人の和」だそうです。
そのことに当時の状況を当てはめてみてみると、
「天の時」とは、高齢化社会の到来が眼前に迫る中、北海道観光にも新たな視点が必要になってきていると認識されていること。
「地の利」とは、北海道は常に人気ナンバーワンの観光地であり、摩周湖のある弟子屈町には多少の地縁があり、知人も多くいること。
「人の和」は不思議なことですが、背中をポンポンと押してくれるような人が次々と現れてきたことです。


 ・・提示された三条件をどのようにクリアーしたか、ですって?

法人格の取得は株式会社より手軽に設立することができる有限会社を設立することにしたのです。手続きも簡単であったし、毎年の株主総会も必要ありません。貯金通帳に300万円のお金があればそれで設立できたのです。その金額が通帳に記載されていれば、見せ金でもよかったのです。

三年以上の経験条件がクリアーできたのは、「人の和」が働いたのかもしれません。ある人から「三木さんには以前から宿泊業を営む親類がいますよね、その人を役員に向かえることで良いのではないでしょうか」との見解が示され、それが採用されたのです。
この条件変更みたいなことは法律用語(?)で「読み替え」という手法だそうです。「なんのことはない拡大解釈ではないのか」と今でも思っていますが、とにかく救いの手がさしのべられたのです。

そして問題は最後の条件である年度末の1999年3月31日までにホテルを完成させなければならないことです。

~あと11ヶ月、やるしかない!!  で、いつやるの? 今でしょう!!~

2013年5月25日土曜日

釧路新聞「巷論」へ寄稿しました。

題目「弟子屈らしい自然体験」 ・・・視覚障がい者向けツアーを企画

 カヌーの水切音を聞き、熊やエゾ鹿の剥製に触ってその大きさに驚き、森の中では風の違いを感じ、地底から響いてくる蒸気音や硫黄の匂いに自然の力を感じる。視覚に障がいを持った観光客が弟子屈で過ごされると一応に高い評価を受けているのが弟子屈ならではの自然体験メニューである。その場所は釧路川、エコミュージアムセンター、赤エゾマツの森、硫黄山であり、いずれも当地を代表する観光スポット。そこは視覚障がい者にとっても自然と触れ合える貴重な場所なのだ。

「そんなに喜んでもらえるならばツアーを企画しよう」と思いたったのが3年前。地元の旅行会社「㈱ツーリズムてしかが」と協同で視覚障がい者向けハートフルツアーを企画し販売を開始、1ヶ月が過ぎた。
するとすぐに反応が寄せられ、毎日新聞社発行の「点字毎日」に続いて(社福)日本盲人会連合の「声のひろば5月号」に紹介され、先日は(社福)日本点字図書館に行き収録を行った。「このひとときを、この人と」と題して紹介され、6月上旬には購読者に配信されるとのことだ。
篤志家の皆さんにより運営されてます。
このように注目される理由を探ると「都会の情報は入手し易いが、地方からの情報はほとんどない。多方面からの情報を皆知りたがっている」とのようである。 

誰でもが来て楽しいユニバーサルデザインの観光地づくりに取り組んでいるえこまち推進協議会UD部会(通称:UDプラザ)では、かねてから旅のサポート体制の準備に取り組んできた。機会を捉えては車椅子の移動をサポートしたり、入浴介助を行ったり、車いすトイレマップを作成したり・・。
あるとき視覚障がいの若い女性へのサポートを行った時のこと。トイレに案内して、ハット気がついた。「私は男、女性のトイレに一緒に入る訳にはいかない」。
その雰囲気を察してか「大丈夫ヨ、場所さえ判れば1人で大丈夫!トイレの形なんか似たり寄ったりでしょ」とサラリといった調子で言われたのだ。
なるほど自立とはこういうことか。

積み重ねた知識と経験が役立つ時が来たと思っている。

2013年5月21日火曜日

風曜日奮闘記その(6)「夢は摩周湖のほとりから」


資金調達作戦(5)最終段階 ~1998年

 1998年2月北海道拓殖銀行が破綻したニュースが流れました。その前にも山一證が・・。バブル崩壊の始まりです。
 「マァ、世の中はこんなもんだろう」「五十路近くにもなった男が何を今更チャンチキオケサ!」「このままサラリーマン続けるンだもん!」。ほとんどヤケクソ状態がつづきました。

 ところが、ところがです。奇跡が起こりました。神様は見捨てなかったのです。
 人生舞台が360°ぐるりと回り、世の中の風景が一変したのです。
 仕事を終え、家に帰るといつも冷静な妻が興奮気味に「あなた、北海道庁から一度来て欲しいんですって、さっき連絡が入ったばかり」と告げられたのです。
 「うそでしょう」と答えると、妻の真剣な顔を見て「本当かもしれない⇒本当だったら嬉しいな⇒いや本当に違いない」と私の脳の神経伝達回路が段階を踏んで本気モードに変わっていったのです。

 1998年4月30日、ここは北海道庁保健福祉部の会議室。
ずらりと並ぶ行政官に向かって、私と妻の北海道観光が取り組むべき将来観光についてのプレゼンがはじまりました。(プレゼンといっても考えていることをしゃべっただけですが・・)
プレゼンを終え、その日に福祉のまちづくり資金からの融資が決まりました。
人生舞台360°転換
しかも1億円。融資最大枠の金額です。夢が実現に向けて大きく動いた瞬間です。
 


    ・・・・どうしてだ! ですって?

 福祉的な配慮がなされた公共的施設には支援しょうという制度(福祉のまちづくり条例)が施行され、観光に福祉の視点を入れた取り組みがたまたま注目されたのです。
 しかしまた難関が現れました。下記の三つの条件が提示されたのです。

① 法人格を持っていること
② その事業に三年以上の就業経験があること
③ 年度内にホテルを完成させること

これどうする???  アーッ1億円。

・・・つづく

2013年5月15日水曜日

風曜日奮闘記その(5)「夢は摩周湖のほとりから」


資金調達作戦(4)~1998年

 東京丸の内にある公庫ビルの前、その大きさに早くも圧倒されそう。
 公的な金融機関であれば公益性のある事業に対してなにかしらの支援を得られるかもしれない、と考えて訪ねることにしたのです。

 国民金融公庫融資相談受付の窓口。
17年前の面影はどこにもありません。
 もっさり感漂う定年もうすぐの係官が現れ、血も涙もない言葉を浴びせられました。
通常、障がい者が旅行にでかけて宿泊するなんて考えられない。従って単なる宿泊施設ではない。かといって福祉施設でもない。 
 これはどの業種に当てはまるのか、○△省の××局に行き、業種を確定してから来てくれ。
 それを聞いて唖然、次の言葉が出てこずモゴモゴしていと更に追い討ちをかける様に
この手の融資は各都道府県の許可事業。北海道でやるなら現地の公社に行ってくれ。住所はここです。
といって札幌市街の地図をコピーして渡されたのです。その場所には親切にも赤エンピツで印がつけられていました。
 これはどう考えるべきか。神様が与えた試練か。だとするとあまりにもふざけた試練ではないか。 何が国民公庫だ!!(怒)

 それでもめげず、諦めず、○△財団を訪問することにいたしました。そこはボランティア活動を積極的に支援している団体だからです。
 事業計画書の内容を少しかえ、タイトルは「福祉の視点を取り入れたホテルビジネスの展開」としました。若い担当者2名を前に高齢化社会を迎え障がい者でも泊まれる宿泊施設の必要性を説明。すると、ものすごく感度がいいのです。
 資料をいろいろ見せてもらい何とか話しが進みそうになったと思いきや、
 「ところで三木さん、なんという法人名ですか?」
 「ハァ、法人名って? 法人ではなく個人なんですが・・」と答えると、申し訳なさそうに
「うちは個人では受付できません。法人格を持っていないと、株式会社とか有限会社とか・・・」

 するかどうかも判らない再訪問を約束して財団を後にした次第です。

 「ア~ッ、越えねばならぬ山がまた幾つも。道はだんだん遠くなるばかり。いっそサラリーマン続けるかッ! 定年まで・・・」

2013年5月8日水曜日

春の淡雪・・じゃなかった。

5月も中頃ですが何とした事でしょう。
本州(こちらでは内地とも表現します)では桜が終わってそろそろ真夏日の到来といったところでしょうか。

これから雪かき、楽しい雪かき。ホテルの玄関に積もった雪をどけなければ外に出られないほど楽しい雪かきです。

いつもでしたら、桜の満開は5月20日ごろです。が今年は5月末ごろになるのではないかと近くに住むの古老が語ってくれました。

日本一遅いお花見なんぞはいががですか。
雪見酒となるかも・・・。

2013年5月7日火曜日

お客様から背中をおされました。

GWも終わったというのに、何としたことでしょう。
季節が3月下旬に戻ってしまいました。
そんな中、お客さまから2つの電話をいただきました。いずれも車イス利用の方です。
「今、苫小牧に着いたが、日勝峠が雪で越えられない。どうしても風曜日に泊まりたいので到着は遅くなってもいいか。夕食はキャンセルする」とのことです。
九州からの1人旅の方で、タイヤは夏タイヤのこと。こんな天候です。普通だったら宿泊そのものがキャンセルになっても不思議ではないと思うのですが・・。
更に、
「7~8年前、新婚旅行で宿泊した。今回は結婚記念日に宿泊したい。部屋は空いているか?」
との問い合わせです。
当館のことを忘れずに、しかも結婚記念日に合わせて宿泊をいただけれなんてウソみたい。

こんなお客様からの電話が、私達の背中を押してくれるのです

2013年5月4日土曜日

風曜日奮闘記その(4)「夢は摩周湖のほとりから」


資金調達作戦(3)~1998年

 新聞やテレビでは貸し渋り、貸しはがし、といった単語が毎日のように目に飛び込んできます。
 民間銀行へのアタックはどこも似たり寄ったりの状況でした。
 「なんで北海道なの!人が集まりますか?都会に近い長野ではダメなの?」(当時、長野で冬季パラリンピック開催が予定されていたのです)
 「趣旨は判るが、ちょっとねーッ! これがバブル時だったらなんとか・・」
1998年3月5日
長野パラリンピック開催
 「かなり難しい経営ですね。三木さんみたいなサラリーマンが本当に経営していけるのですか?」
ざっとこんなもんです。

 その中でも、親切にアドバイスしてくれた銀行がありました。
 「この事業は社会福祉法人を狙った方がいいですね。税金もかなり軽減されますよ」
 「社会福祉法人ってどうやって作るの?」
 早速、書店に飛び込み購入したのが「社会福祉法人への取り組み」というタイトルの本。

 結論
 申請書類の一覧表を見て諦めました。とてもじゃないが私1人で申請できる代物ではなかったのです。

 ひよっとしたらあのアドバイスは断り文句か!!   2500円返してくれ!!
                                        

 なんか私の性格、悪くなりそう・・・・。

 つづく・・

2013年4月27日土曜日

風曜日奮闘記その(3)夢は摩周湖のほとりから


資金調達作戦(2)~1998年

ホテルの建設事業計画書を携え、ある民間大手銀行の融資窓口を訪ねました。住宅ローンを組んだことはありますが、こんな経験は初めてです。
「あの~、融資の件で伺ったのですけど」と受付嬢に訪問目的を告げると「あちらで少々待ち下さい。今、係りの者を呼びますので」と事務的な返事が返ってきました。

空調が効いた明るい部屋、期待と不安が入り混じり、さながら就活の際の面接のような気分で待っていると、30代後半と思われる担当者が現れました。ニコニコとして愛想はいいが、目は笑っていない。ということは隙がないということか。
名刺交換を済ませ、いよいよ本題の事業計画説明にはいったのです。
 一通り説明が終わりました。そしたら
 「なかなか面白い企画ですね、三木さん」 、ところで「返済計画書はお持ちですか?」
 「・・・・・・・・・・・??」。
 「市場規模どのように考えておられますか?」
地元の銀行支店です。今でもいろいろな交渉を行っています。
 「・・・・・・・・・・??」。
 その質問には答えられなかったのです。

  と言う訳で最初の融資面接は失敗に終わりました。
  面談を終えて、「そうだよな、貸して欲しいとうい金額も提示できないで、断られるのは当たり前だよな」
 「紹介状も人脈もない得体の知れないサラリーマンの話しなんか、まともに聞いてもらえないよな」
 そんなことをブツブツいいなが、自分を慰めていました。

でも、そんなことでめげる訳には行きません。銀行は他にもいっぱいあることだし・・・。

つづく・・。

2013年4月24日水曜日

風曜日奮闘記その(2)「夢は摩周湖のほとりから」


資金調達作戦(1)~1998年

と、思っていましたが何をやりたいのか、少しだけ説明することにします。でないとお金お金の守銭奴に思われてしまいそうなので・・・。
やりたい事とは北海道の大自然の中、障がい者及びその家族に対して宿泊施設の提供、各種アウトドア・アクティビティのメニューを用意することにより、日本ではまだ未開発の分野と思われる障害がい者の旅行を支援しょうとする事業です。


その想いを事業計画書にまとめ、まず民間大手の銀行から訪問することにいたしました。
バブルがはじけ、長期に渡る不況の入り口に差しかかったころのことです。

つづく・・・。

2013年4月21日日曜日

風曜日奮闘記その1「夢は摩周湖のほとりから」


はじめに
私はもう40歳後半、サラリーマン生活にもそろそろ疲れを感じるころだ。
「このまま続けるのかな?」それとも「やりたいことをやってみるのもいいかな。やりたい事があるんだけど・・」「やるんだったら50歳が限度だろうな?」
そんなことを考えているとフッと思いついた。
「そうだ!なにをするにも資金が必要だ。資金集めから始めてみよう!!」

幸い仕事の担当エリアは大手の銀行が立ち並ぶ丸の内界隈。仕事の合間に訪問できるし、なによりも活動自体にお金はかからないではないか。

よし!資金調達からスタートだ!

つづく・・。

2013年4月19日金曜日

反応のスピードに驚いています。

摩周の郷は豊かな自然が沢山あり、いろいろな楽しみ方があります。
体の不自由な方でもその自然を心行くまで楽しんでもらおうと、UDの観光地づくりに取り組んでいます。
そんな中、地元の旅行会社「ツーリズムてしかが」と連携して企画した視覚障害者向けツアーが5月に販売されることになりました。
釧路川ボートでの川くだり、屈斜路湖畔での温泉発掘や乗馬体験、地底か響き渡る蒸気音や硫黄臭、羆やエゾシカの剥製を触り、摩周蕎麦を食べるなど、音・香り・触・味覚を体感する内容となっています。
しかし問題が残っています。それはどの様にPRしていくかということです。

2年前、宿泊していただいたお客様(ご自身も目が不自由)に相談したところ、すぐに反応がありました。毎日新聞 点字毎日に掲載がなされたのです。(4月14日発行、 第4636号)
 
それだけではありません。
東京に本部がある(社福)日本盲人会連合、(社福)日本点字図書館からも反応があり、昨日掲載記事を書いたところです。おまけに図書館のボイスマガジンに載せてもらえることが決まり、収録のため近々に上京することになりました。
  
「東京周辺の情報は集まるが、北海道みたいな遠くの情報はなかな集まらない」とのことです。

反応のスピードに驚き、今後どの様に展開していくのか本当に楽しみです。
     
新聞の表紙です。
内容は全て点字で書かれています。

2013年3月29日金曜日

ブログをはじめます。

ピュアフィールド風曜日のサイトが新装オープンするにあたり
ブログも始めることにしました。
どうぞよろしくお願いします。

新しいサイトは下記のリンクでご覧下さい。
http://kazeyoubi.net/