2015年4月24日金曜日

風曜日奮闘記 その25「夢は摩周湖のほとりから」

原野で生きる。 NO2.

新年会会話の続き。
「うさぎは満月の日によく出くる。月にうさぎはつきものダ!」
「最近、きつねが小さくなった。原因?!、その分が人間が太っている」
「入植にして30年たっても熊サ見たことがねエッ。熊の歩いた跡はアル。糞は小山もあった」
熊の落し物です。

「農家を襲い、冷蔵庫を開けている熊がいた。あれはきっと何処かで飼われていた奴ダ。冷蔵庫を開けて、納豆食ってる熊なんか見たことも聞いたこともない!
「だとしたら熊を飼ってた奴は犯罪者ダ!」
「町にパチンコ屋が三軒あった。互いに競争して出してた。二軒になったらあまり出ない。あいつら親戚どうしか?」
「そしたら釧路ダ。80キロぐらい、すぐだ!」
「税金が納められない」
「また機会でも買ったか?」「ウン!、そうだ」

「阿寒湖に白いカラスがいる。小っちゃい時はイジメられてたらしいが、コッコを生んで今は立派になっている。メスだったんだ!」
カモメが摩周湖の上を飛ぶ話、純正のオオカミ(?)15匹を飼っている人の話、カモの首を長くしたらタンチョウになる話、カラスだけは飼うもんでない話、ガチョウが一番の番犬(?)になる話、町のバス停に猫とキツネが仲良く遊んでいる話、エゾフクロウが窓にぶつかってたまげた話。
最後は納税の話でザ・エンド。

「ここが好きで住んでいるノ」
古老から投げかけられた言葉がやけに身に染み、新年会終了。

2015年4月12日日曜日

風曜日奮闘記 その24「夢は摩周湖のほとりから」

原野で生きる! NO1。

創業2年目 原野摩周自治会新年会での会話から。
集まった面々の多くは、戦後に酪農経営を目的として入植し、広大な原野を開拓した初代の開拓者達だ。

タンチョウが近くまで飛来するようになった話題がきっかけで、
「エサづけに成功すれば、お客さんがワンサカクル!それには犬がいないことが条件ダ!」
「〇×コーン(?)を植えるベシ」
「それはダメだ! キツネが来て全部食われてしまう」
「もっとたくさん植えレ。いくら食われてもいいように・・」

「展望台を造ろう。車椅子でも登れるような・・」
「場所はこの前がイイッ!」
「わしはあの電柱が邪魔になったんで、役所にカケアイにいったノ。そしたら町長が地下に埋めるべ、といった。したら死んでしもうて、そのままになっとる。なんとかせなあかん!!」


「昔はウサギがたくさんおった。草刈機でよく首を切ったもんダ」
「やつらはすぐに穴には入らねえ。幾つもの穴を持ってて、どこに入るかごまかしている。アタマはイイ」
「行った道を戻ることが多い。そこにワナを仕掛けてチョットこうするノ。(かなり複雑な仕草なので書けない)カンタンダ!」
「ウサギの耳ってコリコリして美味しいらしいヨ。一度どう?」

「川が盛り上がる。秋サケがワンサカ。イクラワンサカ。密漁ワンサカ」
「〇〇川のあの橋の右側、この間行った××川の上流、ホレ!あそこ、 イイヨ!」
「ミツリョウは悪いョ。子供や年寄りもミツリョウはイケナイョ。ヤッテハイケナイノ。ホントニイケナイノ・・・!」

・・・どうだ!大自然と対峙して生きる男達の会話は!!・・・

会話はまだまだ続く

2015年4月6日月曜日

風曜日奮闘記 その23「夢は摩周湖のほとりから」

いよいよスタート NO3。

お客様から寄せられる言葉には、心に快く響くるものばかりではありません。

「俺は障がい者だ! 割引はないのか?」と、お叱りの電話をもらったり、「医者からは酒もタバコもコーヒーまで禁じられているノ。でも、どうしてもタバコだけはやめられないノ。お願いだからタバコだけは許して! ユニバーサルなんでしょ?」とか・・・。

ある日の昼下がり、男性からの電話がありました。暑い日です。「たま障」か「いち健」か判りません。
当初、宿泊の問い合わせかなと思っていたのですが、どうも様子がおかしいのです。
幾つかの問い合わせに答えているうちに、
「北海道はもともと開拓者が汗水たらして開墾した土地だ。そこに見も知らないお前たちが来て大きな顔をしているではないか」
「風曜日のやっていることは、障がい者を食い物にしているのではないか」・・・
そんな話の内容に変わっていったのです。

風曜日をスタートさせたばかりです。誤解を解くのに私も必至になり、やりとりは2時間近くにも及んだのです。
結局、疲労感ばかりが残り、しばらくは思考ゼロの状態が続いたのです。

でも、この事がきっかけで、
「お客様にとって風曜日は何?、私はなに?」といった客観的に物事を捉えることは必要ではないか、と思っています。

終わります。